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執筆者の写真木村幸比古

第37回全日本学生居合道大会

更新日:2023年2月9日

第37回全日本学生居合道大会成績「令和4年12月4日、同志社大学デイブィス記念館。優勝立命館大学、準優勝京都大学、3位同志社大学。立命館大学優勝は7年ぶり6度目」


大会開催におきまして、ご挨拶させていただきました。



全日本学生居合道連盟 会長

西日本学生居合道連盟 会長

範士八段 木村幸比古


第37回全日本学生居合道大会が開催にあたりご尽力いただきました審判の先生方、学生役員、会場を提供していただきました同志社大学に敬意を表します。京都は学生の街で人口の10人に1人が学生(約15万人)で全国1位です。各大学の剣士諸君はコロナ禍のなかで学業と居合道の稽古に苦労されながらも、先輩たちが築き上げた居合道部を立派に存続される情熱は、今後の人生の糧となることでしょう。


私の居合道入門の動機と京都居合の流れに紙数をおかりします。私の國學院大學時代は、学生運動の最中でしたが、体育会で充実した学生生活をおくりました。刀剣に興味があり学園祭で、大先輩である刀剣大家の本間薫山、佐藤寒山両先生の刀剣鑑賞の仕方を聞き感激しました。現在の国宝、重要文化財の指定刀剣類のほとんどが両先生の業績でした。

居合の出会いは、高知出身の倉橋常茂範士の無双直伝英信流山内派に入門しました。山内派は大江正路範士の高弟で子爵山内豊健公(土佐藩主山内容堂の孫)が京都の大日本武徳会から居合道講師に招かれ、武専で指導されると山内派とよばれるようになりました。

剣聖とよばれた中山博道範士が入洛され、山内公の下宿先の知恩院を訪ね居合道談義をされ、いらい親交が続いたといいます。


私は四段から宇野又二先生の指導を受けました。宇野先生の居合、剣道は高知高校で大江正路範士から学び、山内公の指導も受けられました。長崎医科大学へ進み病院退職後は、京都で山内公の居合道研究会助手を勤められ、山内公没後も宇野先生は剣道家にも居合を普及させ、高弟の大森政雄範士が京都産業大学、龍谷大学に居合道部の創設に尽力されました。京都伯耆流の大家吉澤一喜範士の流れは京都大学、立命館大学、奈良大学となっ

ています。

私は居合を最初から真剣で稽古し、加藤清正お抱え刀工の同田貫上野介正国で初段を受審しましたが、まだ居合刀が普及せず真剣で受審者がかなりいました。


刀剣好きから最近入手した一振りは、三条小鍛治の祖にもつ源良近作刀を中山範士が借り試し切りした証に、良近が茎(なかご)に「範士中山博道先生試刀」と刻みましたが、祖々父が宮内省皇宮警察署長時代の首席師範が中山範士であったことに縁をかんじました。昭和九年に皇宮へ陸軍大将朝香宮殿下がご臨席のもと、中山範士がこの刀で再び試し切りを披露、「切れ味抜群」のお言葉を頂き、研ぎ直し献上したといいます。


日本刀を使う居合道は先人が残した伝統文化であり、崇高なる精神文化の源があります。日頃の居合道の鍛錬をもって、正々堂々と試合にのぞまれ、実力を発揮されることを祈念します。

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