2024年12月8日に、第39回全日本学生居合道大会が行われ、大会会長のご挨拶をさせていただきました。以下はその時の内容となります。
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第39回全日本学生居合道大会の開催にあたり、ご尽力いただきました審判の先生方、学生役員、リニューアルされた体育館を提供していただいた龍谷大学に敬意を表します。
居合の祖である林崎甚助重信は、戦乱の世に、出羽国村山に産声をあげました。
剣技は居合と称されます。軽妙な構えから連続的におくりだされる優美で前衛的な兵法は、天下取りを夢見る武将たちにたちまち広がりまりました。
諸国武者修行に出て居合を広め、一説には名将加藤清正の招聘で、家臣らに居合の妙技を伝授したといわれています。林崎は居合の妙技を教え、おしげもなく居合を広めました。最近、門人の目録がみつかり、そこにはすでに正座から抜きつける業前が描かれ、画期的な発想でした。門人たちからも優れた剣客を輩出し、この居合を神夢想林崎流と称して全国的に広がり、今では神伝流、英信流、田宮流、伯耆流、関口流、無外流、水鴎流、民弥流などがその流れを汲んでいます。
石川県立博物館で刀剣展が開催され、私も微力ながら協力させて頂きました。
展示品に居合関係史料が多数展示され、加賀藩の慶応年間の経武館稽古割では、居合は4流派で、月に17日間あり余技として川で鮎釣りが奨励され、石の上に立ち、流れで体感をつくり、釣り竿で手首の返し、腰かごに鮎を入れる納刀の稽古をしました。加賀藩では武士以外は明治維新まで鮎釣りが禁止されていました。各藩でも剣術、居合術、槍術はじめ、時代の変遷で西洋砲術などが盛んになりました。
近代剣道のなかで大日本武徳会の設立があります。
明治天皇の御心で、平安遷都1100年にあたり明治28年4月、伯爵壬生基修らが発起人となって、大極殿を模した平安神宮が造営され、隣接地に武徳殿が建てられました。
武道教員養成専門学校が創立され、剣道、柔道に加え居合が注目されます。昭和初年、京都の剣道範士の田中知一、大森小四郎両先生が、広島の剣道範士堀正平先生を招き、英信流講習会を開いて、参加証を授与しました。これを機に、居合熱が高まり、首席師範内藤高治先生は、土佐藩主山内容堂の孫で子爵山内豊建先生に要請しますが、固辞されましたが、そこで内藤先生は居合の将来発展を願い、再度豊健先生に「道のために来たれ」と送り、中山博道先生と豊健先生の交流がはじまりました。
それらを踏まえて、先哲が残された居合道を充分に発揮し、大会に臨んでください。
令和6年12月8日
全日本学生居合道連盟
西日本学生居合道連盟
会長 範士八段 木村 幸比古
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